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執筆者の写真直宏 太田

12月クリスマススペシャル例会

岡山ワイズメンズクラブが、その仲間たちと共に

クリスマススペシャル例会を実施しました。





1)日時

 と き:12月19日火曜日19時〜21時

 ところ:岡山ビューホテル 2階 レストラン五感

2)形式

 着席形式で行いました。

 ドレスコードなど設定せず、カジュアルな感じで行いました。

3)内容

 19時     スタート、開会点鐘、開会の祈り(正野としのさん)

         会長挨拶「クリスマスツリーの銀モール」

 19時20分  クリスマス礼拝(お話:延藤牧師)

 19時40分  クリスマスディナースタート

 20時15分  ピアノ演奏(佐藤郁也さん)

        「戦場のメリークリスマス」「アメイジング・グレイス」 

 20時35分  ゲーム大会 クリスマスクイズ大会・クリスマスじゃんけん大会

 21時     クリスマスケーキカット、誕生祝い

 21時20分  きよしこのよる斉唱、記念撮影、閉会点鐘


4)クリスマス献金

 礼拝時に集める献金は、YMCA国際協力募金に捧げます。

 総合計 36,710円でした。


5)参加者  32名

 ◯メンバー  13名

  石原康正・長寿和子・三浦信彦・河田英正・高原良子・正野隆士・丸山恵子

  秋山義信・佐藤郁也・板野靖雄・高本久史・片山公美・坪倉英雄

 ◯客員    1名

  原 伸行   

 ◯リーダー  3名

  谷川琴美(トミー)、藤村夏帆(ぴーな)、戸川拓也(たっと) 

 ◯スタッフ  7名

  太田直宏・白鳥雅人・市川 愛・大西幾子・平岡千紘・安井真紀・森末典子

 ◯ゲスト   8名

  延藤好英・正野としの・秋山洋一・秋山淳子・蔵知武・蔵知晋・

  丸山娘、孫





クリスマスメッセージ   

     延藤好英さん(日本基督教団 和気教会 主任牧師)


「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。

  その名はインマヌエルと呼ばれる。』

  この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)

クリスマス、それは、イエス・キリストの誕生を祝う日です。イエス・キリストの誕生、それは今から約2000年前の出来事でした。その意味は「神は我々と共におられる」という意味だというのです。今紛争の真っただ中にあるパレスチナ、イスラエルにあるベツレヘムという町でお生まれになりました。その当時も、その地方はローマ帝国に支配され、ユダヤ人たちはその支配からの解放を求めていました。ですから、ユダヤ人たちは救い主の誕生に、ローマの支配からの解放という期待を込めていました。しかし、イエス・キリストの生涯はそういう方向には進みませんでした。33年後、イエス・キリストはユダヤ人たちの「十字架につけろ」の声の中、ローマによって十字架刑という死刑に処せられ、地上の生涯を終えました。けれどもその三日後、父なる神さまはイエス・キリストをよみがえらせられました。そして、改めて、「神は我々と共におられる」ということを実現されました。今日も、目には見えませんが、イエス・キリストはわたしたちと共におられます。この会場にも、共におられます。


 わたしたちはこの後食事をいただきます。食事をいただく時に、大切な要素がいくつかあります。何を食べるか。いつ食べるか(お腹が空いているか。体調はどうか)。どこで食べるか。そして誰と食べるか。です。「共におられる」ということが嬉しくなる人もいれば、緊張して食事が喉を通らないという人もいるでしょう。イエス・キリストはどういう方でしょうか?イエス・キリストは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣いて」(ローマ12:15)くださる方です。「わたしの目にあなたは価高く貴い」(イザヤ43:4)と言ってくださる方です。ある方は臨死体験をしてイエスさまに出逢ったそうです。「イエスさまはどんな方でしたか?」という質問にその人は答えました。「今まで出会った誰よりも優しい方でした」(佐藤史和牧師・岡山ニューライフ教会)。「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる方」(マタイ5:45)です。

 「神は我々と共におられる」ということは、人となって、人の悲しみを知り、人の喜びを知る「イエス・キリストが共におられる」ということです。教会では、「信仰」とか「救い」ということを言います。それを大切にします。「信じる」とは何を信じるのでしょうか?「救い」とは何からの救いなのでしょうか?それは、病気が癒されるということでしょうか?困難な状況が解決されるということでしょうか?そうではありません。あなたを愛してやまないイエス・キリストが共にいてくださることに気づくということです。病気は治らなくても、困難が消え去らなくても、イエス・キリストが共にいてくださるということに気づくことです。そのことを信じるのです。それが神さまとの関係が回復される救いなのです。そのために、イエス・キリストはこの世に来られたのです。それがクリスマスです。

 ある新聞記事に公園での出来事がありました。まだよちよち歩きの幼い子供が、こけて、ワーッと泣き出したそうです。そこに4歳の女の子が近づいて行きました。その女の子は何をしたと思いますか?手を差し出したでしょうか?「大丈夫?」と声をかけたでしょうか。いいえ、その女の子は、こけて泣いている赤ちゃんの隣で、自分も地面に横になって、にこにこしながらその子を見つめたそうです。そうしたら、泣いていた子もそれに気づいて、泣くのを止めてにこにこし始めたそうです。女の子が「立とうね」と言ったら、その子も自分で立ち上がったそうです。そして二人でにこにこしていたそうです。そこには自分で立てた喜びもあったでしょう。イエス・キリストがわたしたちと共にいてくださるということはそう言うことかなと思います。女の子はその子を引っ張り上げることはしませんでした。その子の立ち上がる力を引き出したのでした。

~松浦悟郎他著『武器なき世界の実現を』(女子パウロ会)より~

 わたしは毎週木曜日の夜に、「プレバト」(TBS系列)というテレビ番組を観るのを楽しみにしています。芸能人の方々が絵を描いたり、俳句を作ったりします。その腕前の素晴らしさに毎回感嘆しています。俳句のコーナーでは、夏井いつきさんという方が、それぞれの俳句を評価し添削されるのです。先日も俳句を作った芸能人と夏井先生のやり取りを聞いていてハッとさせられることがありました。ある女優さんが作った俳句を添削された夏井先生がその一部について、「どういう言葉が良いかご自分で考えてみてください」と言われました。宿題を出されたわけです。その言葉を受けて、その女優さんが言いました。「分かりました。でも、先生ならどんな言葉を入れられますか?」と聞いたんです。そしたら夏井先生は、「わたしなら例えばこう」という風には答えられませんでした。ひと言、「甘えてはいけません」と言われたんです。「それはあなたが自分で考えなさい」ということです。更には「あなたにはそれを考え出す力があります」ということです。


 何が言いたいかというと、インマヌエル、「神は我々と共におられる」ということがわたしたちの甘えになってはいけないということです。わたしたちは神さまにいろんなことを祈ります。願います。病気になれば、癒されるようにと祈ります。受験があれば、合格しますように、商売すれば繁盛するように。それが間違っているというのではありません。そう祈っていいのです。けれどもそれがすぐにかなわなかったからと言って、「神さまは冷たい」とか「神さまなんかいない」というのは間違っているということです。今わたしたちは、自分のことだけでなく世界のことで祈ります。ガザの人たちに平和が与えられますように。その人々の命が守られますように。ウクライナでも、ミャンマーでもそうです。日本国内でも、多くの人が希望を失って自ら命を絶っています。でも、平和を祈り、解決を祈っても、なかなか実現されません。そんな時、「神さまは冷たい」とか「神さまなんかいない」というのは間違っているということです。それは甘えではないかということです。


 神さまは問いかけておられるのではないでしょうか。「あなたはその人たちのことをどれほど知っていますか?」と。「わたしが愛するその人たちが、今までずっと苦しみ悲しんできていたことをあなたは知っていましたか?知ろうとしていましたか?」と。そして、「自分の頭でよく考えてごらん。どうやったら世界中の人たちが、互いに尊重し合い、互いの幸せを実現することが出来るようになるかを。あなたがたにはそれが出来るはずです。そのようにして互いに愛し合う力をわたしはあなたがたに与えています。だから自分の頭で考え、当事者と出逢い、いろんな人と語り合ってごらん。」そのように神さまから問われ、語り掛けられているように思うのです。ですからわたしたちは祈ります。「そのような、互いを尊重し合える世界を造って行くために、わたしたちが良く考え、出会うべき人と出逢って行けるように、神さまわたしたちを導いてください」と。「自分のことだけでなく、人のことにも、もっと関心を持つことが出来るように、愛と勇気を与えてください」と。






会長挨拶 太田直宏


「では問題です。クリスマスツリーの銀のモールは

      いったい何を象徴しているのでしょうか? 」みなさん、ご存知ですか?


気がつけば、もう今週末はクリスマス。それにしても、日本や世界の諸事情を見渡すと、

お祭り騒ぎをしている状況ではありません。

だからこそ、そもそもクリスマスってなあにと、今考える意味がありそうです。

クリスマス=Christmas。Christmas=Chris(キリスト)+Mas(礼拝)。

すなわち、「救い主を礼拝する」ということです。

これは、クリスマスツリーの飾りにも表現されています。


クリスマスツリーの飾りで特徴的なのは、一番上の先端にひときは大きく目立つ玉やトップスターとも呼ばれる星などの形をした飾りですが、これはキリスト生誕時に輝き、賢者 (王、学者) を生まれた地へ導いた星とされ、希望を表すや約束が守られた印などの意味があります。 ベル (鈴) はキリストの誕生 (救い主の到来) を知らせる天国からのあいさつの喜びのベルとしての意味や、羊に付けられたベルの音で迷子にならないようにということから、人々も神様のもとに帰れることを意味したりもし、さらにその音が邪を払う魔よけとしての意味合いがあったりします。


リンゴや赤い玉などクーゲルとも呼ばれる飾りは、アダムに原罪をもたらした果実、エデンの園の知恵の実とされ、豊かな実りや幸福などの生きる喜びをもたらす果実を表しますが、赤い玉はエデンの園にあった永遠の命をもたらす命の木の実ともされ、永遠の象徴とする場合もあります。杖 (つえ) は羊飼いたちが生活の中で必需品として使用していた杖で、ドイツでクリスマスに食されていた白い杖のようなキャンディーをアメリカの業者がストライプ模様の形にしてヒットさせたらしく、キャンディ・ケーンとも呼ばれています。羊飼いが杖の曲がったところで迷い出た羊を引っ掛けて群れに戻したので、助け合いの心を象徴するともされます。


では改めて問題です。

銀のモールはいったい何を象徴しているのでしょうか?

みなさん、ご存知でしょうか?と問いかけ、答えは例会の最後にお伝えしますので、みなさん考えてねと言ったきり、答えを言わずに終わってしまいました。

みなさんごめんなさい。ということで以下、答えです。



(答え)

 クリスマスツリーを巻いているモール。実はこれ、蜘蛛の糸なのです。芥川龍之介、ではなく、イエスの誕生物語にも蜘蛛の糸が、伝説として伝わっているのだそうです。


 これは、シリヤに伝わる伝説です。ヘロデ王の手を逃れてエジプトに向かって旅立ったヨセフとマリヤと幼いイエス様でしたが、その旅の途中、夜を過ごすために小さな洞穴に入りました。そこには1匹の蜘蛛がいました。寒い夜、蜘蛛はこう思いました。「幼い神の子イエス様が風邪をひかないようにしなければならない」。そこで、蜘蛛は洞穴の入口にくもの巣を張ったのだそうです。そんなことで寒さをしのげるわけではありませんが、クモはそんなことは考えもしませんでした。ただイエス様のために自分のできることをしただけです。


 真夜中のこと、ヘロデの兵隊がイエス様を追って、その洞穴までやって来ました。もう絶体絶命です。ところが、兵隊はこう言ったのです。「この洞穴にはクモの巣が張っている。中に人がいるはずはない」。こうして兵隊たちは別のところへ行ってしまいました。洞穴の入口には夜露をいっぱいにたたえた蜘蛛の糸が月の光の中でピカピカと輝いていたのです。


 クリスマスツリーに掛けられる銀のモールは、この時のクモの糸を表わしているのだそうです。本当かどうかは、わかりません。伝説とはそういうものです。しかし、そんな蜘蛛に倣ってみたいなあと思わせるお話ではないでしょうか?自分にできる事はない、というよりも何かをなそうと行動する、たとえそれは微力でも、無力ではないはずです。

私たちにできること、はじめてみませんか?イエスキリストという、希望の光を信じて。




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世代を超えて参加した今回の例会、みなさんとても楽しんでいただいたようです。

ご招待していただいたリーダー会の三役のみなさん、メンバーのご家族、元メンバーの方々、それぞれが「親交」を温め、「信仰」も深まったのではないかと想いました。

これもひとえに司会を担ってくださった、お二人の新入会メンバーのおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。



最後に、当日集めさせていただいた献金についてご報告します。


金額 36,710円

使途 以下の国際協力募金として、日本YMCA同盟に送金いたします。

   なお、以下のサイトより、まだまだオンライン募金を集めています。

   何卒ご協力のほど、よろしくおねがいします。



国際協力募金にご協力ください。





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