と き:3月19日(火)19時〜20時30分
ところ:ミュージックバー OMS
出席者:リアル 合計 19名
ワイズ 岡山 14名・神戸 1名・講師 1名・ゲスト 1名・配信 2名
遠隔地 4名
総合計 23名
テーマ:能登地震災害支援から見えてきたもの
講 師:勝間光洋さん YMCAせとうち スタッフ 倉敷市自然の家 勤務
岡山県シェアリングネイチャー協会事務局長
元矢掛小学校 校長
兵庫県神戸市出身ミカエル幼稚園出身。星稜高校卒業後、岡山大学に入学し、ラグビーに明け暮れる。大学卒業後、教員となり岡山県内の小学校で勤務。キャリアの最後は矢掛幼稚園・小学校校長として活躍。在任中西日本豪雨災害を体験。教員時代ネイチャーゲームと出会い、現在岡山県シェアリングネイチャー協会事務局長。23年4月よりYMCAせとうち職員として、倉敷市自然の家に勤務し、現在に至る。愛称かっちゃん・特技は腹話術。
◯講演会実施の背景
新年早々、大きな地震が北陸地方を襲いました。
日々刻々と入る情報に心を痛めるばかりです。
改めて「自分たちは大丈夫なのか?」という
想いを重ねたいと思い、計画しました。
▼ワイズメンズクラブの支援の実情
①規約に基づき、災害対策本部を設置済み。
②規則に基づき、CS基金から200万を支出する。
・日本YMCA同盟と石川県に100万づつとする。
③緊急募金を募集継続中。
▼日本YMCAの支援活動の現状
1月7日〜9日、特設チームを北陸に派遣。
①内閣府から要請で「いしかわ総合スポーツ
センター:1.5次避難所」開設、運営に尽力。
②輪島市に、各YMCA交替で人材を派遣中。
▼YMCAせとうちの支援活動の現状
◯岡山県教育委員会からの要請で、スタッフの
勝間光洋さんを教育現場支援に派遣しました。
今回はその経験に基づいたお話を伺い、岡山
の地から、何ができるのかを共に考えました。
◯講演会資料
◯講演会の感想
3月例会は、地域奉仕委員会の企画で、「今後、被災地で必要とされていること〜能登半島、いのちの現場からの報告」というタイトルで、学校再開支援チームリーダーとして現地に遣わされたかっちゃんこと、勝間さんのお話を伺いました。
神戸出身で、自身の自宅が95年の1月17日の震災で崩れてしまい、その時何もできなかったという無念の思いが、彼の中にはずっとあるという心境を冒頭で吐露してくださいました。実は私自身にも共通した思いがそこにあり、この告白にとても親和性を感じました。それ以後なにか大きな災害があれば、なにかできないかと考え続けているとのこと。実際熊本地震の折には、単身現地に駆けつけ、支援活動にも携わったとのこと。ただし、実際には(ご本人曰く)あまりにもスキルのない自分に愕然としたとのことでした。確かに日常の営みと災害時の非日常性はあまりにも乖離していますので、おっしゃりたいことはよくわかります。しかしながら、そんな時に実際に行動できる人が僅かであることを思うと、かっちゃんのこの姿勢は大変貴重なあり方だと思います。
そんな時、西日本豪雨災害が岡山を襲いました。学校という平時の営みが、災害という非日常性のなかで、あたりまえに継続することに如何に困難があるか?真備周辺の学校で、避難所として運営に関わった教員のみなさんは。このことを痛感されたそうです。そこで災害後、この災害サポートチームが教育委員会の肝いりで立ち上がったとのこと。同様の組織はやはり神戸や東北、熊本などに存在することからわかるように、一度受援を経験した人々は、その支援の必要性がよくわかっているとのことでした。
5日間という限られた時間の中での関わり、しかも第1陣ということでしたので、やることすべてが試行錯誤の連続だったようですが、現地の先生方にとってはまことに「救世主」のようなお働きであったことが推察されます。あれから約3ヶ月が経過していますので、現地の様子はずいぶん様変わりしているようですが、未だ水道水の供給がない地区が多く残されていることを思うと、忸怩たる思いがいたします。
講演終了後、隣同士で意見交換をするなかで、「来るか来ないか曖昧な戦争のための防衛予算増加よりも、確実に来ることが予測される防災予算をもっと拡充すべきである」や、「過疎で限界集落化している周縁の地域に投資すべきではないなどという心無い意見に抗する考えと言葉を獲得する必要がある」という発言があり、まさに災害は通常時のシステムの綻びをあぶり出すのだなあという感想を持ちました。
復興という言葉を未だ使える状況ではないという被災地のためにわたしたちに何ができ、
どう行動すべきなのかというヒントをたくさん貰った例会でした。かっちゃんに感謝です
(クラブ会長 太田直宏)
勝間さんが岡山県教委からの要請で「災害時学校支援チームおかやま」の第一陣に参加されました。 活動の詳細は 山陽新聞・朝日新聞等各メディアに紹介あるように 現地での要求に合わせて、学校再開に向けての清掃・通学路の点検・登校時の児童受入等でした。
第一陣という事で、毎日金沢からの現地へ移動にも時間がかかる事、滞在期間が短いなど、勝間さんからはもう少し出来る事あったのではという悔しい思いも感じました。しかし、学校関係者の方々に真備の水害の際の辛い経験を基に支援を行ったことは大変心強いものだったと思います。また実際に活動をお聞きしないとわからない様々な問題が時間経過で起こることも知りました。学校が、地域において初動から大きな役割を果たしてる場所であるとともに学校が避難所ならざる負えないことで、再開の場合に高齢の避難者に場所移動が必要となることなど、先を見据え防災対策の手順を考えなければなりません。
学校での日常生活を取り戻す事はこどもたち自身の為だけでなく こども達の笑顔や歓声はそれ取り巻く大人たちの気持ちも穏やかにしてくれます。それを支援する勝間さんの活動は重要なものだったと感じました。
最後に勝間さんが“これからが色々なトラウマが出てくることもあります。「頑張って」ではなく「頑張っているね。しんどいね」と認めたあげる傾聴が大切です”との言葉心に残りました。 続いて質疑応答・意見交換が行われました。金沢の地元から能登半島で大きな地震が以前にも起こっていたが 行政が何も準備出来ていなかったとの報告、メンバーからは様々な観点からの意見が寄せられ、メンバー各自の防災対策についての再考を促した機会となりました。
(ドライバー 高原良子 )
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