フォーラムを開催いたしました。
- 直宏 太田
- 5月15日
- 読了時間: 17分

と き:5月11日(日)13時30分〜16時
ところ:日本キリスト教団岡山信愛教会
序 :命と老いの現場に身を置く私たちへ
2025年5月、岡山信愛教会の礼拝堂に、介護や医療の現場で働く人、教会やYMCAに関わる人、地域の家族たちが静かに集った。
テーマは「超高齢化社会と私たち」。
サブタイトルには、「終わりの日まで、生き生きと。」という言葉が添えられた。
この言葉の響きには、「ピンピンコロリ」とは異なる響きがある。寿命を意識する私たちにとって、老いるとはどういうことか、命の終わりをどのように迎えるのか。この問いが、信仰者・市民・家族という多様な立場の人々を結びつけた。
当日は讃美歌と祈りに始まり、参加者がそれぞれ“自分の寿命”を想像しながら、命の有限性をワークショップとして体感する時間からスタートした。
基調講演「未知の力を引き出す」
登壇者:重信直人さん(大阪YMCA職員)

「人は、自分が持っている力を過小評価しているんです」。重信さんの第一声は、会場の空気をやさしく揺らした。「若者もそう、高齢者もそう。実際には、内に秘めた力はまだまだあるんです」
その言葉を裏付けるように、重信さんはハワイ・シニアツアーの取り組みを紹介する。 ある高齢者が「ハワイに行きたい」と口にしたとき、「もう無理だろう」「体力がない」と言われて終わるのではなく、「じゃあ行ってみよう」と背中を押し、実際に海へと連れ出した。腰までの深さの海に入って、シュノーケルをつけて魚を眺める。「魚が見える」という感動の声。「水着になるなんて…」とためらった人が、太陽の下で微笑みながら波間に揺れる。
「“今さら”じゃなく、“今だからこそ”」。それが、老いを前にした人の「生き生きとした瞬間」なのだと、重信さんは語る。
続いて、会場で流されたのは、カナダで制作された1分間の映像だった。タイトルは「人生最後の10年、あなたはどう生きたいか?」
(出典「The Heart and Stroke Foundation」)
椅子に座り、誰かの手を借りて着替えをする老人と、自分の足で外に出て、仲間と笑い合いながら過ごす老人——どちらも“可能性”の一つとして、並列に提示される。「介護を受けながら生きる時間を否定するものではありません。でも、それをどう選び、どう意味づけるかで、人生の終わり方は変わると思うんです」。
「“どう生きたいか”という問いに、遅すぎることなんてない」
重信さんの話は、単なる実践報告ではなかった。高齢社会における選択の重さ、ケアの倫理、そして人間の尊厳とは何かという問いが、参加者の胸に深く沈んでいく。「健康になりましょう、というメッセージはもう響かないんです。大切なのは、“あなたはどう生きたいですか?”と、真正面から問いかけること」。その言葉の裏づけには、YMCAの現場で、長年人と人の間に生まれる「希望」に向き合い続けてきたYMCA主事としての確信があったように思えました。
連続発題:医療・当事者・支援者からの声

①板野靖雄さん(岡山協立病院・内科医)
発表の骨子(当日のPDFデータです)
「私たち医療職に求められるのは、祈るような気持ちで“営養”を届けることです」。その言葉には、医療と信仰を重ね合わせながら地域医療に向き合ってきた板野医師の覚悟がにじんでいた。
「営養」という言葉は、「栄養」と一文字違いだが、その意味は根本的に異なる。ただ生命をつなぐためのエネルギーではなく、「営む命を養うこと」。つまり、いのちの営みそのものを支えるという視点が、医療の原点であり、私たちの関わりの出発点だと語られた。
日本はすでに超高齢化社会の中にある。65歳以上が3600万人、75歳以上が2800万人を超え、全体の23%以上が後期高齢者という現実。そうした中で、これまでは主に脳血管障害や心疾患が要介護の主因だったが、現在では「骨折・転倒」「高齢衰弱(フレイル)」「認知症」が大きな要因になってきている。
これらの原因の根底には、「低栄養」という共通項がある。体格や見た目ではわからない“隠れ低栄養”の高齢者が実に多いのだ。「高齢の方でも、肉・魚・卵・乳製品を食べていただくことが、いのちを支える基本なんです」。

高齢になると、「もういい」と言って食を減らしがちになる。しかし、筋肉量の維持には1日あたり体重1キロあたり1グラムのタンパク質が必要で、それを意識して摂ることが難しくなっている。
「胃ろう」についての説明も印象的だった。「私はよく、“胃ろうは歩行障害の方にとっての松葉杖のようなもの”だと説明します」胃ろうというと延命のためのものという誤解が多いが、むしろ栄養をしっかり入れて体力を戻すための手段であり、再び口から食べることを目指すための“通過点”にもなり得る。
2005年に病院内に立ち上げたNST(栄養サポートチーム)は、医師・看護師・栄養士・言語聴覚士・リハビリスタッフなどの多職種が連携し、低栄養状態を早期に発見し、対応していく体制だという。


そして、板野医師は聖書の一節を静かに読み上げた。「“飢えた者に食べさせ、渇いた者に飲ませたのは、私にしてくれたことだ”――マタイ25章」。
医療とは、祈りと似ている。その人に今、必要なものを、過不足なく与えること。命の営みに寄り添い、無理強いせず、その人の歩幅に合わせて支えていくこと。それはまさに、医療の根源的な行為であると結ばれた。
コーディネーター太田のコメント
大体いつも板野さん情報過多なんですけれど、今日はだいぶ抑えていただきポイントが良くわかりました。お二方のお話の中には、知恵が詰まっていましたね。特にあの栄養って言葉が、そもそもは「営養」だったのだということは全く知らず、目からウロコでした。そういえば「経済」という言葉だって、そもそもは「経世済民」のこと。これは、中国の古典に登場する語で、文字通り「世を經め、民を濟ふ」の意味で、本来は「より広く政治・統治・行政全般」を指す語でした。主として英語のEconomyの訳語として使われている今日の「経済」とは意味が異なるのです。本質に気付くということは、すごく大切ですね。プロテインが「第一のもの」という意味であることも今回初めて知りました。お二方に感謝です。
私の義理の父と母が、去年からふたりともパーキンソン病に罹患し、随分衰えました。これはもうちょっと年を越すことができないのではないかと思った時に、板野さんの言葉を思い出し、「やっぱりごはんを改善せんといけん」という結論に達し、病院に入院しました。すると、みるみる元気を回復して、去年のアドベントには自宅に戻り、再び二人での生活を再開することができました。今も2人でちゃんと生活しています。やっぱり食べるって大事なんだなということを実感するとともに、介護保険の仕組みとか地域医療の中身をたくさん知ることに契機となりました。
さて、この後は、ご自身が介護の当事者として長年ご苦労をされてきた坂本さんと、仕事として介護の現場のアレンジをされるケアマネという仕事に従事された経験のある藤井さんがお話してくださいます。

② 坂本明美さん(介護経験者)
「私は祖母、父、母と三人の介護を経験してきました」。坂本さんは、まずそう切り出した。その口調は落ち着いていたが、その一言の中にこもる体験の重さは、会場の空気を変えた。
「30代で祖母の介護を始めたときは、まだ体力も気力もあって、“やれる”という気持ちの方が大きかったんです」。しかし、父母の介護では状況がまったく違った。長く続く介護生活。限られた制度。病院や施設との連携の難しさ。そして何より、精神的な孤独。
「父の看取りには立ち会えませんでした。病院には“知らせてください”と伝えていましたが、それができなかった」。悔しさと寂しさが、言葉の合間に滲んだ。そしてもうひとつ、強調されたのが、「制度が整っていても、現場でどう運用されるかは別問題だ」ということだった。
「母の胃ろうは板野先生の病院で入れていただいたものですが、その後に戻った施設では、その方針がまったく引き継がれませんでした」。本来なら回復を目指す“通過点”のはずが、栄養補給の“終点”のように扱われてしまった。
また、施設によって「オムツは家族が用意するのか」「洗濯はどうするのか」などの基本的な運用すら異なる。「電話してもつながらない。看護師さんに聞いても“それは明日の人に聞いてください”と返される」ケアを受ける人が大切にされないと感じると、家族の信頼も揺らぐ。
「制度があっても、人の温度が届いていない。そういう場面があまりにも多い」坂本さんの声は、誰かを責めることではなく、もっと“聴いてもらいたい”という切実な願いだった。「夜中でも、土日でも、何か話せる“声の受け皿”があればいい。24時間対応の留守電でもいい。あの時、電話一本で救われたかもしれない夜が、私にもありました」。
だから一番初め、ケアマネージャー選ぶのは、いろいろ考えて方が良いですね。私は、お友達からこの人いいよって推薦してもらった人が実はいたんですけど、その方は実家からすごい遠いところで再々相談に来てもらったり、私がこう何かお願いするのは申し訳なくて、結局その方にはやっぱりご連絡取らずに、地域の包括支援センターの方と面談して別の方に決めました。結果的にはその方もいい方だったので、なんとかそこからスタートしましたけど、まあ、いろいろありました。
そして、最後にこう結ばれました。
「母と父は、チャプレンのいる施設で看取ることができました。聖書を読み、祈っていただいて、母が安らかに旅立てたことが、今の私にとって大きな支えになっています」。
コーディネーター太田のコメント
私の実父は7年前に亡くなりました。たまたま出張で実家の和歌山に帰ったその日に亡くなったので、私はその時には立ち会うことができました。私の母は、実祖母と連れ合いである父、どちらも自宅で看取ったんです。
その頃まで私は全然その地域医療はどんな風になっているのか分かっていなくて、看取った後にすごくケアマネさんにお世話になっていたを自覚し、お礼を言いに伺いました。その折に、「いや、もう本当、母は弱音吐かないんですよって」言ったら、「いや、私の前では泣いてましたから、大丈夫ですよ」と言われました。ケアマネとは、そんな役割のお仕事なんだなあと感謝したことを思い出しました。介護制度ができたことで、やっぱり救われている部分がたくさんあるんだろうな、というふうに思っています。
そういうことを、ずっと藤井さん経験して来られたので、今度はケアマネさんとして、このことをどう捉えているのかを話していただければと想います。
③藤井惠子さん(ケアマネージャー・家族介護者)
「私は、母の介護から始まり、父、義父と、三人の看取りを経験しました」。
藤井さんは、家族の介護と、ケアマネジャーとしての現場、両方の視点から語ってくれた。母の時には介護保険制度が始まってなくて、開始9年前(1992年)のことだったんです。
なのでもちろん介護保険の相談は一切できず、家族と病院と近所に住んでおられた退職後の看護師さんの手助けでの介護をしました。で、この母の介護に私が子育てに忙しく十分できなかったという想いがケアマネージャーの仕事をするきっかけになりました。
で、次は父の時ですが、介護保険が始まって父は6年後(2006年)でしたので、私もケアマネを始めておりし、介護保険がスムーズに利用でき、よかったです。そして今度は夫の母の時ですが、それは介護保険が始まって14年経ってました(2014年)が、あの場合は主に病気が原因で、入退院を繰り返し、あるときは医療系の在宅療養を利用しながら、在宅で診ました。最後は夫の父の時。介護保険開始から20年も経った2020年のことでした。
それであのとてもあのなんていうのかしら。サービスが充実してたように思いました。在宅介護と入退院を繰り返し、施設入所もできて、そこで最後を迎えました。今年は介護保険が始まって25年になり、とても定着してきています。
「ケアマネージャーは、“何か困ったことがあったらまず連絡する相手”にならなければいけない」それは制度上の役割以上に、“心の拠り所”になることだと語りました。「小さな相談を積み重ねることで、大きな安心が生まれます」月に一度の定期訪問のとき、ほんの数分でも「ちょっと聞いてもいいですか?」と話ができる時間を必ず設けるようにしています。
「私は、自分が3人を看取った経験から言えるんです。ケアマネは“相性”がすべて。合わないと思ったら、変えてもいい。そういうふうに制度はできているんです」。「“迷惑をかけたくない”と口にする人の多くが、本当は“やってみたいこと”を心の中に抱えているんです」
それを引き出すのが、ケアマネの役割。「“温泉に行きたい”“孫の結婚式に行きたい”“もう一度歩きたい”——そういう声を、誰が受け止めるのか」。介護保険という制度の中で、どれだけ“人の願い”に耳を傾けられるか。それが、これからの社会における“ケアの質”を左右すると、藤井さんは語りかけた。
一番大事なことは、高齢者の孤立を防ぐということかなと私はあの思います。本当に一人暮らしの人も多いし、一人暮らしじゃなくても、なかなか介護のことをご相談できずに、自分の中にもう納めてしまっている人ってのは、とても多いんですね。そういう高齢者の孤立を防ぐということが大きな課題。月に必ず深い利用者宅を訪問して話を聞いてくれるケアマネージャーの役割は、とても大きいのです。いいケアマネさんを出会ってください。
コーディネーター太田のコメント
そう言われてもなかなか仕組みが分かりづらいのが実態です。うちも両親が介護状態になったからこそ、今のお話は実感として受け止めることができます。うちの場合は2人ともパーキンソン病なのです、お薬をちゃんと飲めていなくて、その結果、所謂オーバードーズ状態となり、生活上の誤作動がものすごく多くなって大変でした。
朝一日分の薬を全部まとめて飲んでたりしたんですよ。実際あれだけ薬があればわからなくて当たり前。朝朝ご飯の前、朝ご飯のあと、昼ご飯の後、晩ご飯の後、夜寝る前と合計5回でそれぞれにいっぱい薬があって、多分どっさり飲んでおかしくなっていたのです。そこでケアマネさんに相談したところ、じゃあロボットを使いましょうと言われて、お薬ロボットという仕組みを導入しました。時間になると所定の薬をロボットが提供してくれるので、おかげで今は誤飲もなくなり、ばっちり投薬コントロールできるようになりました。その結果、また二人で生活できるようになりました。なってみないと分からないというのは、すごくよくわかります。でもケアマネさんとは相性の問題があって、いつでも交代していただけることは、そう聞いてたましたが、今日は確信を持てました。そんな情報がちょっとでも分かってれば、だいぶ違います。しかし、なかなか切羽詰まらないとそうならないっていうのが現実かなというふうに思っています。
皆さん、いろんな観点からお話していただき、ありがとうございました。
休憩
パネルディスカッション「介護と地域」
このセッションでは、登壇者や会場の参加者が介護の現場、制度、地域での課題などについて率直なやり取りを重ねました。時間の関係で中座をするお二人の感想をお聴きすることからセッションを始めました。
福祉美容という可能性(佐藤奈津子さん・佐藤郁也さん:岡山ワイズメン)
介護の現場に長年携わってきた佐藤奈津子さんは、近年、福祉美容に強い関心を持ち始めたと語りました。「いくつになっても身なりを整えることは、心の元気につながります」と奈津子さん。現在は高齢者にネイルやメイクを施す活動を始めたばかりで、その一歩一歩が当人の自己肯定感を高める支援につながっていると実感しているそうです。
連れ合いの佐藤郁也さんも「絶望的な話題ばかりでなく、明るい未来を想像するような福祉の在り方も伝えたい」と、福祉ネイルの出張ブース設置やライブハウスとの連携企画など、柔軟な発想で福祉に寄与している実践を紹介しました。
冒頭、医師の板野さんが口火を切り、「制度は整ってきたが人手が圧倒的に足りない。特に胃ろうの対応などでは施設ごとに実施可能な処置に差があり、マンパワー不足がケアの質に直結している」と問題提起。看護師や訪問介護者の配置制限も課題で、十分な処置ができない現場の苦悩を具体的に共有しました。
参加者のおひとりであったKさんは胃ろうを巡り「父が自分で食べることを止めたのではなかったかという葛藤を抱えている」とその葛藤を語ってくださり、胃ろうの選択における家族の苦悩が伝わってきました。
坂本さんは「母は移動後半年ほどで亡くなった。最終的にはタンの詰まりが直接の死因だった。胃ろうで元気になる例も知っているが、90歳を超える高齢ではそううまくいかないこともある。選択肢があるようで、実は時間がなく、限られた中での決断ばかりだった」と語ってくださいました。介護する側の身体的・精神的な負担が大きく、制度的な支えが追いつかない現実をにじませました。
板野医師は「選択は年齢だけでなく状態により判断されるべき」と応答し、「胃ろうの是非は一律に語れない」、ケアの現場では“ありのまま”の受け止めが大切だと説明しました。この問題は胃ろうに対する悪いイメージが流布されておることと相まって、正しく知ることの大切さを改めて認識しました。
ケアマネージャーの藤井恵子さんは、「本人に合うケアマネとの出会いは本当に大きい」と語り、地域包括支援センターを通じた情報収集や、ケアマネ変更の制度活用など、現場の実践知を紹介しました。
この問題の当事者である八谷牧師からの「単身高齢者がどうやって支援につながることができるのか」かという問いに対しては、「包括支援センターが入り口になるが、制度を知らない方には届かない」と応答があり、地域住民同士の声かけや、近隣の目配りの重要性も強調しました。このような単身者状態の方が多数おり、今年からは団塊の世代が全員後期高齢者となったことを想うと、認識のブラッシュアップによる既存システムへのアクセスを向上することに加えて、介護保険制度を市民の力で守っていくことの大切さが再確認されました。
YMCAの太田は「“終わりの日まで生き生きと”とは何か?それはピンピンコロリを是とするのではなく、手放し、弱くなっていくことを受け入れながらも、自分らしさを失わない生き方ではないか」と投げかけがありました。さらに、「人に迷惑をかけてはいけない」という日本の教育スタンダードが、ひとりひとりの内面に抑制をかけ、多くの高齢者がそこにとどまっていることの現実に焦点を当て「もっと互いに迷惑をかけ合える社会にしよう。自立するとは、いかに多くの依存先を持ちうるかということのはず」と呼びかけました。
参加者Tさんは、自身の介護体験を共有し、「孤立している介護者は本当に時間がない。気軽に話せる場がない」として、仲間と7月に自主的な対話型フォーラムを開催することを発表。「今日のような語り場と介護ダイアローグがもっと必要」と力を込めて語りました。
最後に重信直人さんは、「若者と一緒に介護の未来を考える場が必要。介護職の担い手が減るなかで、どう希望を語れるかが問われている」と語り、「人生の最後をどう生きるかは、社会全体で問うべきテーマです」と結びました。
コーディネーター太田のコメント
最後に、私的な話ですが、父を亡くした際に母が詠んだ短歌がありますので、ご紹介いたします。
帰り来て 息子のかけし 言の葉に 眼をしっかりと あけたる夫
髭をそり 爪を整えて 測りたる 如くに逝きし 夫の一生(ひとよ)ぞ
チアノーゼ おこせし指を わが掌に つつみて夜の 静けさに耐ゆ
延命の 処置を願はず 在宅の 看取りに逝きし 八十八歳
お休みと 言ひて寝ねたる 午前二時 命の果を 告げず逝きたり
これら数首を胸に、今日の学びをさらに深め、今後の活動に活かしていきたいと思います。コロナ禍では看取りすら難しかったこと想うと、父の他界は2018年のことでしたので、しかっり関われたことは幸いでした。ただコロナの時を経て、看取りを巡る様相は大きく変化したことを考えると、老いの問題と死や看取りの問題は、今後も大きな課題であり続けます。YMCAと教会、ワイズメンズクラブで足並みを合わせて考え続けていきたいと思います。
◯最終コメント 八谷牧師
「私はこれまで両親の介護に直接携わった経験はありません。しかし、今日の議論を通じて介護の大切さを改めて実感しました。教会としても、地域としても、支え合いの輪を広げていきましょう。」
◯講演会の感想
昨日は有り難うございました。私自身胃瘻に関しては思いちがいしてました。正しい情報 聞かせて頂き感謝です。それぞれ素晴らしい知識を持ったスペシャリストが、うまく繋がることにより、より効果が得られる事、病院だけではなく他のところでも言えることと、思いました。
お話大変自分にとってタイムリーな話題でしたので、とても勉強になりました。胃瘻と聞くと、何故かあまり良いイメージを持っていなかったのが何故かというのが良く分かりました。結局のところ、メディアやSNS話を鵜呑みにしないで、色々な話を聴き、それを自分なりに判断するのが大切なんだと改めて思いました。
色々世の中には都合の悪いことや、損得が働くことにより、本来すべき事が出来ない事があるというのが、良く分かりました。
高齢化社会の中で、胃瘻のことを正しく理解することは、本当に大切なことだと思いました。世の中の、知識人と言われる人が、胃瘻のことをマイナスイメージで、発言されることが、多いですが、実際は、人が健やかに生活することの補助をする施術の一つであることがわかりました。ありがとうございました。

Comments